こちらは東洋への憧れ。っというよりも、もっとくだけてなんだか身の回りの暮らしにはないからちょっと目先が変わって面白いもの。そんな目線がこの絵から感じられて、私はあまり好きな作品ではありません。
新しいネックレスにも特に心踊るわけでもない。あっそう。と右から左へ気持ちが流れるような退屈な日常。
まさに作者の William McGrego Paxton が得意とした 父親や夫の元で富の再生産が繰り返されるような人々 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Theory_of_the_Leisure_Class を感じるからです。
ただ今コロナの影響で展示室が縮小されている中で、ジュエリーを展示するお部屋が閉まっていたのですが、テーマだけでもと思ったのかジェリーのお部屋と楽器のお部屋の間に飾られていました。
特に心に残る作品ではありませんが、これをみるたびに、この時代のボストンの世相に思いを馳せます。描かれた後に迎える狂騒の20年代、この人たちはどんな暮らしをしたのだろう。日本は明治の終わり、私の祖母が生まれた頃。アメリカの近代工業を支えた街 Lowell ではたくさんの移民の同世代の女性たちがけたたましい機械の音の中で綿織物を織っていたりした時代です。そして、その狂騒の時代の後に世界大戦という形で日本も巻き込まれていくのです。
このような作品を見ると、同じ頃にボストンで生まれたターシャ・テューダーが「華やかな暮らし」に嫌気を感じた気持ちがわかるような気がします。